玉泉

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北(ロシア)の黒船乗組員墓地 見学会が開催されました。

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文部科学省の文化審議会で11月20日に国指定史跡に追加認定されました。

それに伴い今月3日間にわたり、ロシア人墓地 見学説明会が開催されました。

静岡県で今回追加認定されたのは、磐田市の遠江国分寺跡と玉泉寺の2件です。

北(ロシア)の黒船ディアナ号は、嘉永7年10月15日(1854年12月4日)ロシア使節プチャーチン提督、以下500名の乗組員を乗せ下田港に入港しました。プチャーチン提督の目的は、日露国境確定、和親、通称条約の締結であり、幕府の指定した下田港に来航しました。

第1回目の日露会談のもたれた翌日、嘉永7年11月4日(1854年12月23日)安政の東海大地震が発生し、その大津波でディアナ号は大破しました。

写真の墓3基は、津波の日に亡くなった水兵と、ロシアに帰る為の船建造中に亡くなった下士官と水兵のものです。

◎アレクセイ・ソボレフ(中央)

ディアナ号が大津波で大破した際に、二門の大砲が倒れてその下敷きとなり圧死しました。墓碑銘には、「1854年12月11日(露歴)の地震による下田町崩壊の日に世を去りしフリゲート艦ディアナ号乗組員、水兵アレクセイ・ソボレフの遺体ここに眠る。」と刻まれています。

◎アレクセイ・ポトチキン(向かって右側)

西伊豆戸田村でスクナー船ヘダ号建造の最中、病死した下士官ポトチキンの墓。墓碑には、「1855年3月25日(露歴)に戸田で死せるフリゲート艦ディアナ号乗組員下士官アレクセイ・ポトチキンの遺体ここに眠る。」と刻まれています。

◎ワシリー・バケーエフ(向かって左側)

同じく戸田村で、ナベワリと呼ばれる毒草の実を食べて中毒死した水兵バケーエフの墓。墓碑には、「1855年5月15日(露歴)に戸田で死せるフリゲート艦ディアナ号乗組員、水兵ワシリー・バケーエフの遺体ここに眠る。」と刻まれています。

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