「青天を衝け」主人公 渋沢栄一先生と下田 ⑧
ここからは千尋の谷を横目に慎重に下り、河津、稲梓、河内~下田富士の麓を抜け柿崎に着いたのは正午であった。花火の音が空に響き渡り、下田町長、柿崎村長はじめ大勢の人々が子爵を迎えるために玉泉寺の下に整列していた。宿泊は柿崎の阿波久旅館である。
この紀行文の中に次のくだりがある。
「大人お付きの藤井看護婦も歌子の供の女中ゑんも偶然にも南伊豆の下田地方生まれの人たちである」
筆者はこのくだりを読んで藤井姓は白浜かもしれない。との思いが頭をよぎった。それからしばらくして10年ほど前に白浜の方から電話をいただき、家には子爵の掛け軸があり、叔母が渋沢家に勤めていたという話を思い出した。もしやと思い、連絡を取り話を聞くと藤井看護婦の実家であった。初めてここで藤井看護婦と結びついたのである。世間は狭いというか、偶然というか衝撃的な驚きであった。このお宅は白浜原田にあり、現当主の大叔母に当たる藤井由子さんがこの子爵お付きの看護婦でありました。看護婦としての器量、知識だけではなく容姿を含め全ての人間性が子爵お付きの看護婦の条件として求められたのでしょう。当主によれば「小さいころ何度もお会いして、上品な人柄、丁寧語で話されたのを覚えています」とのことでした。
その後、由子さんは子爵設立の第一国立銀行の副頭取、中野時之氏に嫁いでいるそうです。もう一人の歌子女史の女中ゑんさんについては姓が分からず手掛かりがない。この拙稿から何らかの情報がもたらされんことを期待しております。