ロシア黒船ディアナ号、アスコルド号乗員 墓前祭
10月30日、当院境内に眠るロシア黒船ディアナ号、アスコルド号乗員の墓前祭が執り行われました。新型コロナウィルス感染拡大の影響をうけ、2年ぶりの開催となりました。
嘉永7年10月15日(1854年12月4日)ロシア使節プチャーチン提督は、新鋭フリゲート艦ディアナ号に乗じて下田港に入港しました。アメリカ黒船艦隊に後れをとったが、ここに北の黒船が入港したのである。プチャーチン提督の目的は、日露国境確定、和親、通商条約の締結であり、幕府の指定した下田港に来航したのである。
第1回目の日露会談のもたれた翌日、嘉永7年11月4日(1854年12月23日)安政の東海大地震が発生し、その大津波でディアナ号は大破した。
玉泉寺には、その津波の日に亡くなった水兵と、その後ディアナ号は沈没するのであるが、ロシアに帰る為の船建造中に1人下士官と水兵が亡くなる。更に3年後、再度来日したプチャーチン提督座乗のアスコルド号の水兵が、又ここ下田で亡くなったのである。計4人の乗組員の墓所は条約によってここ玉泉寺に定められている。
向かって左から
◎ディアナ号乗組員 水兵 ワシリー・バケーエフ
◎ディアナ号乗組員 水兵 アレクセイ・ソボレフ
◎ディアナ号乗組員 下士官 アレクセイ・ポトチキン
◎アスコルド号乗組員 機関士 フィリップ・ユーディン 墓碑のみ
次回のブログにて、上記4名を詳しく紹介します。