伊豆下田 黒船祭2022墓前祭 ペリー艦隊乗組員墓所①
5月21日、伊豆下田の祭典「黒船祭」が開催されました。新型コロナウィルス感染拡大防止の為、規模は縮小されましたが海上花火大会や米海軍・海上自衛隊のコンサートなどが行われました。この「黒船祭」は今回で83回目となりましたが、祭典の起源は、当山境内に眠るペリー艦隊乗組員5名への米国大使の墓参からになります。今年も米海軍将校を迎え「墓前祭」をしめやかにお勤めしました。今ブログから、1854~1858年の間に亡くなられた5名のペリー艦隊黒船乗組員を紹介していきます。
◎ロバート・ウィリアムズ
墓碑銘
1854年3月6日合衆国「フリガット・ミシシッピー」号にて死亡 享年24歳
同人の僚友建之 海兵隊員
嘉永7年2月8日(1854年3月6日)横浜入港中のミシシッピー号船上にて一人の海兵隊員が死亡し、元町の増徳院に埋葬され、その後、玉泉寺に改葬された。葬儀の模様はペリーの「日本遠征記」に詳しく記載されている。又主席通訳官ウィリアムズのペリー日本遠征随行記には、「墓は横浜の墓地のすぐ傍に掘られた。ジョーンズ師の祈祷がすむと葬列に加わっていた頭髪を剃り落とし、上質の黄色の僧衣をまとった仏僧が、このキリスト教徒の埋葬の為に鈴、蝋燭、酒、線香など小道具一式を並べて仏式のお勤めを始めた。その祭式は中国で行われているやり方とまったくそっくりである。そして二千人をこえる見物人を含めて全参列者が、おそらくつぎには何か変わったことが見られるのではなかろうかと幾分期待しながら、静かに一心にそれを見守っていた。」とある。
ウィリアムズが最初に埋葬された場所は、現在の横浜山手外人墓地の一角である。こうして外人墓地埋葬者第一号となったのだが、三ヶ月後、遺体は掘り起こされ、嘉永7年5月20日、海路当山に改葬された。これは日米和親条約付録の議定書草案の合意に基づいて、付録13ヶ条の調印前に改葬されたものである。付録の第5条には「柿崎の玉泉寺の境内にアメリカ人用の埋葬所を設ける。その墓石が妨げられることはない。」とある。