初代米国総領事館 伊豆八十八ヶ所霊場第四十番札所
Highlights
嘉永元年(1848年)3月、当山20世翠岩眉毛大和尚の代に現在の本堂が落成しております。日米和親条約による下田開港から米国総領事館閉鎖までの6年間、幕末開国史の中心舞台となった建物です。
境内には、米国黒船乗員5名、露国黒船乗員4名が眠る墓地があります。幕末当時に建立された墓石がそのままに現存しており、条約に則った日本最初の公式外人墓地となります。
昭和2年、当時の大実業家、渋沢栄一子爵による建立。記念碑には、ハリスの日記の一文が刻まれており、碑陰には渋沢子爵直筆の文が刻まれています。
タウンゼンド・ハリス総領事愛用の遺品や関連資料、古文書等を多数展示。又、黒船来航時、下田港に於いて踏海の企を起こした吉田松陰先生の遺品、ロシアの黒船ディアナ号将校モジャイスキー撮影の日本最古の銀板写真等、多数の資料を展示する幕末開国史第一級の資料館です。
当寺には、ハリス総領事が体調を崩した際に、近隣の村々から薬として牛乳を購入したという古文が残っております。2週間で約一升(1.8ℓ)が届けられ、その代金として今の金額で15〜20万円を支払っています。当時の牛乳はとても貴重であった事がわかります。